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「何でもないものも二度と現れない故にこの世のものは限りなく貴い」 - 日記

ぼーっとしていた(わけではないけれど)気づいたらあっという間に7月。

lal bansheesから一ヶ月経っていた。

事務処理や処理待ちや手続きが無限に続くのではないかと思えてくる。

 

この家に引っ越してきて1年が経っていた。

とんでもなく短くてとんでもなく長い1年だったように思う。

悲しいことや許せないことが起きても、大体のことは踊ったり練習しているうちに大したことじゃないように思えていた。

それなのに11月は全くそんなわけにはいかなかった。

人は死ぬしそれは順番なのはわかっているのだけど。わかっている、と、寂しいというのは全然違う。

11月からずっと寂しい。もう会えない。世の中に絶対はないけれど、死んだら会えない。

 

11月も12月も2月も本番はあったけれどダンサーとしてだったので無我夢中で踊ればいいので救われていた気がする。

3月からクリエイションに取り掛かり、コンセプト先行では全くないし、それを中心としたわけでは決してなかったけれど、寂しいなと思いながら作った気がする。

というか考えないという方が無理な話だ。

もっと底の暗い方にいかなかったのはソロではなかったからだと思うし、マスターべーション的なものが好きではないそういう風にはしないように作れるようになったというのもたぶんあるし、単純にただ暗いだけのトーンのを作る気がなかったし、ソロだったら作る気は起きていなかったかもしれない。

公演のこと書かなくていいかなと思っていたけど、怠けているとただでさえ低い語彙力文章力がますます低下しそうなのでこういう時くらいは書こうと思う。

精神的な話ではなく内容的な話だと、練習と説明にものすごく時間がかかった。

わたしは振りが入ったら翌日にはできてて当たり前みたいなところでしかやってきたことがなかったので、どうやらその当たり前は当たり前ではないのだなという複雑な気持ちになったりした。

みんなエンジンかけるの遅くないっすか!と思った。

リハ初日からアクセル踏んでいるくらいでちょうどいいのでは。

100言いまくっていたけれど、とても間に合わない、初めてこれは説明してすこし自分の頭でも考えてもらわないといけないなと思った。

言われなくても考えるのがダンサーだと思うのだけど。

そこがダンサーの醍醐味ではないのだろうか。

それか考えられないくらい振りの量が多かったのかもしれない。

しかし訳のわからない動きをよく覚えてよく踊ってくれました。

ダンサーのみんな出てくれてありがとう。

 

今回ではないけれどここ数年ずっと「良い本番とは」ということをずっと考えていた。

作品ではなく自分のダンサーとしての本番のパフォーマンスについて。

間違えなければ良い本番なんてのはこどもの発表会だし、やりきるなんて当たり前だし、間違えても良い本番もある。

今日身体がきれていたのでは、すごく集中できた、いろんなことが合わさらないと「良い本番」にはならない。

「そこそこ良い本番」というのはもはや普通で、別にそこへの興味はない。

外的内的要因意識無意識その他諸々がたまたま合致して「良い本番」だったとなるのだと思うのだけど、本当に超越するように実感するのはなかなかない。

それが1回だけ、楽日の自分のソロのシーンのラスト2分くらいでものすごく久しぶりにきた気がした。

時間が経った今となってはもしかしたら勘違いだった気もするけれど、70分中の2分だけで「良い本番」だったなんて言ったらぶっ飛ばされそうだけど、実感として、「良い本番」があった。

わたしにとって、奇跡みたいなものだと思う。

し、奇跡はそんなに起きない。

標準を上げていけば起きやすくなる気もしていたけど、そういうものじゃなかった。

 

わたしが直接呼ぶお客さんはダンス関係じゃない人の方が多いのだけど、今回何故だか長文の感想をわざわざ書いて送ってくれる人が多かった。

よかった、悪かった、ではなく、自分が観て何を思ったか。

そういう、嬉しい内容だった。

人と話すとき、この人はどういうことを考えているんだろうとかこの人はどういう風に今目の前の景色が映っているのだろうということがほんの少し感じ取れる話が好きだ。

感想の手紙を頂き、その感想がわたしが意図しているところ意図していないところ含めわたしよりうまくこの作品を説明できるのではないか、、というくらい的を得ていて、なんだかわかってもらえた気がした。

わかって欲しくてやっている気はさらさらないのだけど。

言葉では突けないことを構築したので、言葉で枠を言うとこうなるのだなと感心してしまった。

感情や感覚は言葉ではないというところもちゃんと含んだ言葉だった。

 

次はどんなのを作ろう。

ダンサーとしてまだまだ見えない景色を見たい。

生きていく上でわかりあえなかったときにわかってほしいという気持ちや怒りよりも悲しい気持ちとわかりあえてたという勘違いに気づく。そんなもんかぁと思うことが残念に思う。

でも、大体世の中はそんなものの連続な気がする。

ダンスは全く何の必要もないし、意味もない、落ち込むことの方が多い。

楽しいわくわくすることもあるけれど、この年齢でそればっかりなはずがない。

(むしろそればっかりだったらそれはそれですごく良いのだけど。幻想)

でもダンスや音楽は乱暴な言い方をするとその最中は裏切らない。

観客の立場は違うけれど、それは一旦置いておいて、自分だけの話になると、それでもやっぱり踊っていてよかったと思ったここに引っ越してきてからの1年だった。

 

 

夏です。

スイカを食べていないのにすでに夏バテしている。

いとも簡単に夏風邪をひく体質になりつつある。

7月1日にゆーきゃんさんに誘っていただいてライブで踊った。

わたしが踊るのなんて本当におこがましすぎて、というくらいただ好きなというかずっと聴き続けていたシンガーということもあり、ど・すーぱー・がちがちに緊張した。

近年稀に見る緊張だった。情けない、、、。

そういう時の方が奇跡は起こりそうだけど、やはり数週間前に奇跡使ってしまっていたのかわたしの踊りは普通であった。

普通であったがライブハウスのお客さんたちには珍しいものをみたようでたくさん話しかけてもらえてまぁよかった。

でも、好きな2曲で踊らせていただいて、曲中耳で聴いているというより音の中にいる不思議な気持ちがした。

なんだろうなこの感覚、と思いながら踊っていたらあっという間に終わってしまった。

後々ベース田代さんドラムリッキーさんと演奏中の話になり、内容がダンスにも通ずることだったので、初めましての人とこういう話ができるのはすこし驚いた。久しぶりに電車を逃して数駅歩いて帰った。

その日の本番を思い出しながら帰ったけれど、やっぱり不思議な本番だった。

またいつかゆーきゃんさんの歌で踊らせてもらえたらいいな。

 

 

小津安二郎が好きということに気がついて、ここ数日観れる限り観てずっと考えていたのだけど、

当たり前すぎてもはや誰も気づかないレベルにまで霞んでしまった絶望を、

小さな声で言っているような(比喩です)作品が多いように思う。

これは勝手なわたしの小津印象なのだが。

光も影もべらぼうに美しい、声が小さすぎて(比喩だって)結局気づかない人の方が多いのではという感じだけど。

わたしにとってごく稀に光を気づかせてくれる人物がいる。

眩しさではなく、ごく普通に、そこに光があるのだよ〜ということを気づかせてくれる。

小津安二郎は完全にそうかもしれない。

勘違いでした〜となったら嫌なので全部観てから言いたかったけれど、今のところ観たやつ全部そうなのでいいんだ。

 

昨日K!!ボスのWSにチャリで行き、川沿いをずっと行ったら予想以上に時間がかかり後悔したが、深川あたりを走っている時に、

ミーハーなので「小津、、、」と思いながら走った。

久しぶりにHIP HOPを人からいただく振りで踊って純粋に楽しかった。

帰りはさすがに最短ルートで帰ったら半分くらい巻いた。

夜の全然人のいない浅草あたりを自転車で駆け抜けて、風も気持ちよく、くだり坂ばかりだったので、WSの疲労とお酒がちょうどよかった。

風が気持ちいい、そういう理由で言いたくなった本音を言うと大体良くない方向にいくのでやめようと思った。

そんな風情もないこの世は地獄かよ。

こんなに夜は気持ちいいのに川沿いでふらっと会える友達がいないのは残念だ。

あと東京には足をつっこめる綺麗な川がない。

小津は川沿いで酒を飲んだりしてただろうな。

 

公演について書いていなかったので、書かなくていいと思っていたけれど書いた。

夏、長野帰っていないに等しいくらい滞在していないので、例年よりかはもう少し長めに帰って川などに足を突っ込んでぼーっと山を眺めたりできたらいいな。

 

そんなもんかぁと思いたくない。そんなもんじゃない。

スイカ食べたい。

大雨、心配。

 

 


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